大阪料理会│第九回の様子

  参加者がぐっと増えた第九回は、天王寺『さがみや』の阿藤政己さんによる干瓢料理で幕を開けた。漂白したものでなく、自然に乾かしたもののほかに、原料の夕顔を剥いて自作した干瓢を披露。「かつらむきのようにするとペラペラ過ぎて戻らず失敗。5mmの厚さで作り直した」と苦労話も。下処理も、煮て戻すほかに、3日間3回に分けて少しずつ味を濃くしながら生戻しする2様の方法を試したと報告。食感の違いなどを体感した参加者は熱心にメモを取っていた。「自作の干瓢の歯応え、夕顔の塩揉みの瓜に近いコリコリした食感もいい」と辻調理師専門学校の畑先生も高い評価を。2つ目の題材・白狭海老は、銘酒を揃える店らしく、酒盗に仕立てた。「エビの持ち味の甘さを損なわないように、淡口をまぶして塩代わりにした」という酒肴は、「塩辛=しょっぱいというイメージを覆す味加減」と上野さんが賞賛。また2週間日持ちするという阿藤さんの言葉にはどよめきが起こった。
  2人目は法善寺『浪速割烹 喜川』の上野 修さんによる赤魚(アコウ)の料理、造りと煮物の2品が供された。ちり造りの味噌ドレッシングや、得意のあら煮に喜川らしさが伺えたが、上野修三さんが、「もっとシカッとした歯応えのあるものだが、今日のは柔らかい」と疑問を呈すと、畑先生も「歯が戻されるほど硬いのが赤魚。湯洗いで柔らかくなってしまったのでは」と同意見。「今日の冷やしだしが冷え切っていなかったかもしれない。中華風にさっと蒸せばプリンとした身に仕上がったかも」と上野 修さん。あら煮は人数分の頭を用意するのは難しいと、ほぐし身をすり身に仕立てる工夫を凝らした。叩き梅干しの酸味が、くどくなりがちなあら煮を上品に仕上げられていた。野菜は石川早生小芋。ウニを射込んだ品は、「美味しい」と好評。上野修三さんが、「どこよりも早く出回るので早生。しかし今ではほとんど作られていない。鹿児島に種芋として売ってしまい、いまではあちらの名産になっている。古くは聖徳太子が持ち込んだと言われる芋で、大阪に歴史があるのに、大阪人はいいものを作り続けて磨き上げるということが苦手なようだ」と歴史をレクチャーしつつ、現状を憂えた。
  3人目は、浪速食材の総菜などを供する『貴重』の広里貴子さん。魚是(うぼぜ)を押し寿司と塩麹を使った焼き浸しで。流行の塩麹について「焼き浸しは塩麹に漬けて干したのですが、塩の入り方や甘みの立ち方が良かった」と広里さん。上野さんや畑先生からも高評価うけた。チャレンジ精神は参加者を強く刺激し、銀寄栗のデザートには皆、舌鼓を打った。
  料理の合間には、ヒガシマル醤油M研究所の真岸範浩さんによる「しょうゆの歴史」のミニ講座も。鎌倉時代に湯浅でしょうゆの原形が生まれ、1640年頃、関東で濃口醤油が、1666年には龍野で淡口醤油が開発され、「味をつける」ことから「素材の持ち味を生かす」に料理歴史上重要な意味を持つ変化が起きたことなど、興味深く聞いた。
  また上野修三さんからは「江戸時代までは、豊富に鯛が揚がり、縁起の良い漁場として広く知られていた戎信仰の地・西宮神宮前の海岸は、"御前浜(おまえはま)"と呼ばれていたとか。それに肖ろうと江戸の人が城前で獲れた魚を"江戸前"と名付けたのではないか」という興味深い推理や、や「東京の味は、全国から寄り集まる武士に合わせたメリハリの利いた濃い味から、薄味へと変化しつつあり、京都は公家がいなくなり観光客が増えて、これまで通りの薄味ではなくなった。両方が大阪の喰い味に歩み寄ってきている気がする」と、大阪料理研究会の意気が上がるような話があった。

第九回大阪料理会の様子