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大阪料理会とは 組織メンバー 今月の大阪料理 活動レポート
今月の献立 〈第33回〉
2013年 9月

秋の大阪といえば、摂津に和泉に河内といった地域でだんじり祭がはじまる。最近は岸和田ばかりが有名になっているが、他の地域にも自慢のだんじりと祭礼が今も残されている。今月はそんな、大阪だんじり祭の賑わいを前菜料理で表現。また一方では、秋の静けさを愉しむ十三夜をテーマにした前菜が用意された。歳事の勉強会では辻調グループの重松研究員から「月見について」の説明がなされた。上野相談役からは「大阪料理」という観点から大阪の割烹の歴史についての小講演が行われた。


西野 保孝さん 西野 保孝さん
山海料理 二志乃
お店HP
板倉 誠司さん 板倉 誠司さん
旬菜 喜いち
西野 保孝さんの献立 板倉 誠司さんの献立 撮影/藤澤 了 文/笹井良隆

◆10月の前菜テーマ/泉州だんじり祭り

10月の前菜テーマ/泉州だんじり祭

【料理名】泉州だんじり祭

・渡り蟹塩蒸し
・鶉卵のこのわた漬け
・車海老鳥衾(とりふすま)
・梅型人参の梅干煮
・水茄子のじゃこごうこ


堺の平岡町といえば和泉式部宮や家原寺で有名。山海料理「仁志乃」は家原寺の門前にあり、だんじり祭では地車曳きまわしを店前から眺めることができる。今回の前菜料理はそんな勇壮な曳きまわしを観るような意気が感じられるものとなっている。だんじり祭りにつきものである渡り蟹はシンプルに塩蒸にし、淡口とレモンだけで調味されている。平岡町の氏神は、鈴の宮神社。毎年、鈴の音で収獲を占うということから、この鈴を鈴型千代口で表現。鶉卵の卵黄を鈴玉に見立てているのが何とも面白い。さらには車海老を使ってだんじり御輿そのものを表現。その横には地元ならではの秋祭りの旗印である梅の文様が 梅型人参で模されている。泉州秋祭りの味覚のひとつ、水茄子のじゃこごうこは出汁と飛荒海老を使って料理屋ならではの味に調味されている。


◆9月のテーマ食材/魚介篇「赤矢柄」

【料理名】
赤矢柄の煮物椀

赤矢柄(あかやがら)は大阪では忘れ去られた魚のひとつ。その姿は矢の棒の部分(柄)に似てて細長い。関西では主に和歌山以南から持ち込まれる。味わいとしては、あっさりとした白身なので、これを椀種に仕立てている。三枚に卸した赤矢柄を上身は観音開きとし薄塩に。頭や中骨からは潮仕立てにして出汁をとっている。ひとつの椀物の中にも、季節を感じさせる地域の食材がある。この赤矢柄はそういった意味では泉州に秋を呼ぶ魚なのだろう。


◆9月のテーマ食材/蔬菜篇「石川早生芋」

【料理名】小芋豆腐の芋蛸南京

大阪で女性に人気の食べ物3種、それが「芋・蛸・南京」。この絶妙の炊き合わせを少し冷製にし、石川早生芋を主役に豆腐にアレンジしたのがこの料理。小芋は絹担ぎとし皮を剥いて裏漉す。出汁に寒天をとかし調味し牛乳を加える。これを流し函にて豆腐とする。ここで用いられる南京は、素麺南京。これを湯がき繊維状にとり八方地で味をつける。和泉蛸は柔らか煮とし、三種を共に盛り込み、旨出汁と共に味わうという趣向だ。




【総評】

泉州のだんじり祭をテーマとした前菜。「食べる前から料理の迫力に圧倒された」という声が各テーブルから聞こえてきた。地域そして祭りを大切に想う気持ちが込められた前菜は、作り手だけでなく、食べ手の気持ちも高揚させてくれる。鶉卵のこのわた漬けにおける、このわたの調味加減の良さ、水茄子のじゃこごうこの旨さに賛辞が集中した。じゃこごうこは古漬けの水茄子を裂き、飛荒海老の剥き身等でとった出汁で焚き2日間おいて味を馴染ませている。素朴な泉州の郷土料理を料理屋の見事な一品に変身させた手腕は見事、との賛辞もあった。テーマ食材ではやはり赤矢柄への質問が多く出た。中には、この食材なら鮮度の良いうちに昆布〆にすればどうかとの声もあがった。石川早生芋を使った芋蛸南京では、せっかくの小芋の味わいが薄くなったのが残念との意見が多く、原因としては小芋の皮を剥いてしまったこと、牛乳が多すぎたからではないかといった指摘もあった。

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上野相談役

私考「浪速味道 割烹篇」
割烹 三都の料理屋のはじまり

話:上野相談役


いわゆる会席料理なるものが世に生まれた、そのきっかけとなったものに京・二条寺町の妙萬寺がある。時代でいえば寛永六(1629)年。当時は寺も収入源に困っていたようで、広い境内の空いた場所を「貸席」としていた。これを用いた俳諧の集いが行われ、ここで会の後に飲食したのが会席のはじまりではないかとされている。
また同じく江戸では1680年代というから天和年間だが、奈良茶店が誕生している。ここでは主に茶飯、煮〆、煮豆や豆腐汁などをセットにして売っていたようである。しかしこの時代よりも前、つまり1615年に開削され1650年代頃には賑わっていた道頓堀に、同様の店が営業していたようである。大阪ではこうした茶店とは異なった料亭文化も早期に発達しており元禄年間の前にはあったとされる料亭浮瀬を皮切りに福屋、西照庵など次々と営業を始めるようになっていったのである。